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講座「アートとしての数学」第 3回メモ

前回の内容についての参加者の質問をきっかけに, 予定テーマと違うが, 音律や音階の話しになった。以下に, その話しのあらましを思い出しつつ, 今考えることを書く。

音階と音律について(ピアノの音程は絶対ではない)

私は, 子どもの頃, ピアノを少々習い西洋音楽に慣れ親しみ, その一方で, 20歳頃, 尺八の古典音楽を習ったのをはじめとして, 日本の伝統音楽の響きにも親しんできた。この二者は, 音の高さの決め方(音階や音律)だけを見ても違いがある。たとえば, 三味線音楽で使う半音はピアノやギターの半音よりだいぶ狭い。歩行者信号が青のとき

とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ・・・・
のメロディーが鳴るのがあったが,あの響きに違和感を感じたのは私だけではないと思う。電気的な音の単調さのせいだけでなく,日本の半音の作る"かげり"がなく,きっとすべてピアノやギターの音律(平均律)で作っているようで, そのせいもあるだろう。

2ヵ国語を両方使いなれるのをバイリンガルというのだろうが, 私は, 音感におけるバイリンガルと言えて, 西洋と日本の音感の違いを気にせざるをえなかった。そんな個人的背景もあって, 音階や音律については少々調べてきた。くわしくは, このページの下に紹介する本などを見てもらえばよいので, ここには入り口として思いつくことだけ書く。

もともと, 世界中の音楽で使われる音階や音律はそれぞれの文化が固有に作り出してきたものだから, 世界中には, 実にさまざまな音の高さの決め方がある。現在のピアノやギターの音の高さは, 「平均律」と呼ばれる音律で決められていて, 平均律は, 多種多様な音律のほんの一種でしかない。平均律は, 150年ほど前に, ピアノが大量生産されはじめたとき採用されてから, 多くの楽器の音律にも使われ, 20世紀の音楽の標準となった。産業革命後の世界の規格化標準化の音楽版とも言える。平均律には, もちろん長所もあるのだが, 文化の固有性多様性を犠牲にしてまで支配力をもつ理由はない。
<注>平均律の理論は, 16世紀末の中国, 17世紀前半のヨーロッパ, 17世紀末の日本で, それぞれ生まれたが, 実際の調律として普及することは別問題である。
また, バッハ(1685-1750)の平均律クラヴィール曲集の「平均律」はドイツ語で"wohltemperierte"(よく整えられた)だが, バッハが用いた音律は今日の「平均律」ではない。くわしくは下記参考図書参照。

クラシックの専門家に以前聞いた話しだが, クラシックの歌手が「ソラシド」と歌うとき, 「シ」は, 平均律ピアノの「シ」よりも高めになり, その方が自然なメロディーの流れとして良く聞こえる。男性合唱や金管楽器の合奏では, 「ドミソ」の和音のミが平均律のミよりも低く, その方が, 本当にハモった響きになる。この本当にハモった響きの習得のためには, ピアノの音律はかえって邪魔になるので, ピアノ伴奏なしの合唱練習も取りいれる合唱指導者があると聞いたこともある。西洋の正統と思われているクラシックでさえこうなのだが, 西洋文化輸入の日本は, 実態よりも教科書で文化を吸収する傾向が強いので, かえって平均率を絶対視しすぎる風潮があったように思う。

まして, 非西洋の音楽に耳を向けると, あらゆる種類の魅惑的な音階音律が響いている。ブルースの「シ」はピアノのシより低く, ギターの弦を横に押して音程を変えているらしい。先日, アラビア音楽のレコードを聞いたが, 歌の音程は, ピアノの鍵盤とずれる音が多く, また, その音と音の間を連続的に揺れ動いている。

21世紀には, 規格化文化の行き過ぎの反動として, 多種な音律の見なおしと創造がおこなわれるだろう。

参考図書
藤枝 守「響きの考古学 --- 音律の世界史」音楽の友社 1998年
平島 達司「ゼロ・ビートの再発見(「平均律」への疑問と「古典音律」をめぐって)」東京音楽社 1983年
マックス・ウェーバー「音楽社会学」創文社 (安藤 英治 他訳) 原著の草稿は1912年頃。

音階と整数比と"色階"

音の高さ(振動数)は低音から高音まで連続的に存在し, サイレンのように連続的に音高を変化させることもできる。ところが, 歌のメロディーに使われる音の高さは, ド, レ, ミ, ファ, のように不連続的であるのを見てもわかるように, 人の耳は, 音高を不連続的に識別しようとする。だから, 不連続的な階段として認識される音高を, やはり不連続的な階段である整数の比でとらえることが可能になる。だから, 音は数である, となる。

虹の色も, 光という電磁波の振動数変化と考えられるが, 音楽における音階のように振動数比で決められるような"色階"は生まれなかった。(近代になってからの理論や実験はのぞいて。) この違いは, 聴覚がもともと振動数分析機能を持ち, 色覚は光に対して振動数分析機能はもたない, という生理的条件から生じたのだろう。