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講座「アートとしての数学」第14回メモ

二から三へ。身体 - 数 - 社会構図 - 宇宙。

今回の数学知識は小学校 1年の算数で十分。

三の象徴的意味はかなり多岐にわたるが, 特に注目したいものを挙げておく。
(イ)「分裂の二」を統一する三。
(ロ)閉じた関係性としての二を外へ開く者としての三。第三者。ドイツの箴言に「汝ら 2人が 1つの卵を巡って争えば, 第3の男がそれを盗むことになるだろう。」
(ハ)生成繁殖の三。多数の三。老子 第四十二章に, 「道は一を生ず。一は二を生じ, 二は三を生じ, 三は万物を生ず。」
(ニ)三角形や三脚にイメージされる安定性。
(ホ)キリスト教の三位一体(父なる神, 精霊なる神, 子なる神)。宗教史によると, このような三つ組の観念の底には, 父と母と子という自然な三つ組が透けて見えるという。(カッシーラー「シンボル形式の哲学」) これと対応が感じられるが, 中国では, 天地, 陰陽が交わり人を生ずるとし, 天, 地, 人を三才と呼んだ。

しかし, 直接これらの項目にしたがって考えるより, 最近私が読んだ人類学者馬淵東一氏の文章に触れるほうが, 数や形の象徴的意味や, 古い文化における社会的原理--宇宙観--身体観の呼応などについて, 新鮮な思考材料を与えてくれそうである。それで今回の講座では, 馬淵氏の次の文章をタネにしたい。

講座当日に, 上記の一部分のコピーを配る予定。以下に, 私の関心から見て頭を整理するため, 一部私見も交えるがメモしてゆく。

19世紀後半の人類学者マクジーによると, "4"は, 聖なる数, 神秘的な数として世界の原始文化に広く分布し, それは, 方位, 色彩, 社会組織 などと結びついている。4 が神聖視されるのは, 東西南北の 4方位が主な理由かと想像されるが, 原始文化にとっては, その4方位に, 自分の位置する"中央"を加えてはじめて, まとまった観念となるらしい。「4にして 5」であり, 中央の 1 は 4 方位に統一を与える。
中国の五行説における方位が, 東西南北に中央を加えた"五方位"であるのも, こうした原始文化の名残りではないだろうか。

次に, 馬淵によると, インドネシアのアンボン島では, あらゆる物が身体をもつと観ぜられていて, それは両手両足で四つ,それに中心となす頭を加えての五つが統一体をあらわす。「4 にして 5」の構図。より単純な「2 にして 3」は頭と両手である。親族集団が統合などで, 三族連合, 五族連合, 七族連合, 九族連合などを形成してゆくが, これらはいつも"身体"としてとらえられている。すなわち,
七族連合は 2本ずつの両手と 1本ずつの両足と統一する頭
九族連合は 2本ずつの両手と 2本ずつの両足と統一する頭
また, たとえば, 三族連合と五族連合が統合されるとき, 3+5=8 とはならない。どうなるかというと・・・・ 三族連合は 2本の手と 1つの頭からなり, 五族連合は 4本の手足と 1つの頭からなるが, 統合体の頭は1つであるべきだから, 統合体は, 2+4=6 本の手足と 1つの頭で, "七"族連合となる。
また, アンボン人は, たとえば, 森林は1つの完全な身体であり, その中の樹群を, この森林の手とか足とかと観じる。

以上, 偶数に"統一の 1"が加わって奇数となっている。この構図を最も単純に示すのが, はじめに挙げた(イ)「分裂の二を統一する三」だろう。また, 偶数--奇数の象徴的意味は, かなり古くに始まるらしいことがうかがわれる。

参考。古代の奇数遇数の象徴性
古代中国の陰陽思想では, 宇宙一切を陽と陰の原理から成るととらえる。陽は剛健でなもので, 動, 天, 日, 父, 男, 仁, 上, 前, 明, 往, 昼, 尊, 貴, 福などであり, 数でいえば奇数である。陰は, 従順なもので, 静, 地, 月, 母, 女, 義, 下, 後, 暗, 来, 夜, 卑, 賎, 禍などであり, 数でいえば偶数である。
古代ギリシャピタゴラス派の反対概念表にも奇数偶数がある。
「同じピタゴラス派のうちでも或る他の人々は, 原理を十対あると言ってそれを双欄表に列記している。すなわち, 限りと無限, 奇と偶, 一と多, 右と左, 男と女, 静と動, 直と曲, 明と暗, 善と悪, 正方形と長方形がそれである。」(アリストテレス「形而上学」) 概して, それぞれの対の前者(限り, 奇, 一, ・・・・)は善いもので形相的, 後者(無限, 偶, 多 ・・・・ )は悪いもので質料的と考えられたという。

次に, マクジーによれば, 聖数の図示から十字架やマンジ(卍)が生まれる。(右図参照)

ところで, 曼荼羅(マンダラ)の基本的な形は, 中央の"仏像"の上下左右の四方に仏像を配置した形か, ななめをふくめた8方向に配置したものだという。ここにも「4にして 5」「8にして 9」の構図が見える。

マンダラと聞くと宗教的目的のものと感じるが, 社会的構図にも現れるらしい。コルン著「バリの慣習法」によれば, 村落, 村落連合, 水利共同体, およびいくつかある王国のそれぞれの範域がマンダラであり, バリ島自体も,「バリ島マンダラ」(バリ・ドウィパ・マンダラ)と呼ばれる。

魔術的伝統において伝わえられてきたマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙, 小宇宙としての人間)という見方からすると, マンダラという語のこうした使われ方も意外でない気がしてくる。

(2004年5月記す)