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ひょうたんから生まれた壱(一)

昔の中国人が思い描いていた 1,「一」を, 漢字を手がかりにして探ろう。

「一」には「壱」という漢字もあり, 今は金銭のからむ書類でしか使われないようだが, この「壱」の意味はたいそう奥深い。

壱の旧字は, 壹(いつ)で, その古代の字形になどがある。 全体が壺(つぼ)の形で, その壺の中に詰め物(吉の形)が入っている形だという。他の字形では壺のなかに「温」の右半分の字形が入っており, "いんうんの気"を示すらしい。"いんうんの気"については次の用例で説明する。

壹(いつ)の用例。

天地壹(いんうん)とす。
(易経 けい辞伝 下)
(いんうん)の意味は漢和辞典に「気のさかんなさま」とあり, 他の説明に「気が凝集すること」「元気である」が見られる。つまり, 壹(いつ, 一)とは, 壺が気で充足したものということになろう。

さらに, この壹(いつ)の字形を作っている壺(つぼ)の形は, ひょうたん(瓢箪, ひさご)を原形にしているという。 そして, 瓢箪(ひょうたん)は世界各地の人類創生神話にたくさん出てくる。

瓢箪の出てくる神話。
少しだけ見たいならひょうたん百科辞典の「神話に登場するひょうたん」。瓢箪の写真もある。
もっとたくさん見たいなら民話想神話の扉-1 水が溢れる。いわゆる「洪水神話」のなかに瓢箪がよく出てくる。

話しを「壹(いつ)」にもどしてゆこう。瓢箪がになう創生神話のイメージは, もともと瓢箪の形をなぞって作られたという壺(つぼ)にも受けつがれただろう。「壺中の天」と言って, 後漢の壺公は, 仙術を学んで壺の中に入り酒を楽しみ, そこを別天地としたとかいう。こんな話しに, 天地創生の器としての壺のイメージがうかがわれる。さらに, その壺に気が満ちる様を文字化した「壹(いつ)」も, 宇宙創生以前の渾沌にも通じるような気の充足をイメージさせるにふさわしい文字なのだろう。

一方, 「一」は算木(計算道具)の1本を表すとも言われ, 形と意味の一致が単純明解な漢字である。「一」と「壹」は, 文字の誕生過程は異なるが, 発音意味ともに通じ合うため, 紀元前の古くから同じ意味に使われるようになったらしい。「一」と「壹」は, 1 を意味する同一の言葉に対して対してあてられた二種の文字なのか, そうではなく別の言葉に対応する文字がたまたま発音意味が近くて通用されたのか, こういったことは私は知らない。ただ, 言えることは, たぶん漢字誕生以前に由来する一の意味を,「一」の字形が計量的側面から,「壹」の字形が神話的象徴的側面から, よく示している, ということだろう。また, 「一」と「壹」の文字形成過程の違いにもかかわらず, 文字使用における意味としては, すでに古代において類似が多かった。「中国神秘数字」には, 「一」の語義として, 万物のはじめ, 独, 専, 常, 均, 同, 統一,「壹」の語義として, 専壹, 均一, 同, 合, 誠, 斉一, 以上がそれぞれの古代の用例とともに挙げられている。

そのような「一 = 壹」の示す意味の広がり深みを頭に置いて, 中国古典に現れる「一」を見てみたい。いくつか引用しておく。

泰初--天地のはじめには無があった。このときいっさいの存在はなく, むろん物の名称というものもなかった。
やがて, その無から一が生まれたが, そのときには, ただ一が存在するだけで, まだ形というものがなかった。
すべて万物は, この一をそのうちに得て生ずるのであるが, その一を得ていることをさして, 徳と名づけるのである。
まだ形をもたない一は, やがて分かれるのであるが, しかしその分かれ目は, まだそれほど大きくはない。この状態を命という。
この一は, あるいはとどまり, あるいは動き, やがて物を生ずる。物ができあがり, その物に特有な属性--理がそなわったとき, これを形とよぶ。
このような形体をもつものは, そのうちに霊妙なはたらきをもつ心を宿し, それぞれに特有な一定のありかたを示すようになる。この特有な一定のありかたを, 性とよぶのである。
(荘子 天地篇 森美樹三郎訳)
道は一を生ず。一は二を生じ, 二は三を生じ, 三は万物を生ず。
(老子 第四十二章)

【参考にした本】
葉じょ憲 田大憲 著 「中国神秘数字」 鈴木博訳 青土社
白川静 著「文字講話 1」平凡社