この小窓の中身をひろげて見る


「アート数学」ではなく「アートとしての数学」である。「アート数学」ならば, 「アート」と「数学」というものが別々にちゃんとあって, 人々は「アート」とはこんなもの, 「数学」とはあんなものとだいたいは了解しており, その了解の上で「アート」と「数学」の関係やら影響やら協力やらを論じて融合やらを試みる・・・・ といった展開が予想されよう。「アートと数学」という題目の元で展開され得る議論や創作の意義深さを私は認めるし,そのような活動に参加することもあるだろう。

しかし, 本講座の名前は「アートとしての数学」とした。これは「数学をアートとしてあつかう」ということであり, したがって「数学がそのまんまアートなのだ」ということになる。こう言うと, 数学嫌いの人には, とりわけ数学嫌いのアーティストには, たまらない, やめてくれ, と思われるかもしれない。でも, 数学嫌いということはそれはそれで立派な個性であり, 私はアーティストを名乗る人に数学好きになれと言いたいわけではない。そもそも, 「アートとしての数学」の「数学」は, 我々のイメージする「数学」と違うかもしれないし, 「アート」は我々の思う「アート」と違うかもしれない。我々にとって未知の「アート」や「数学」に対して開かれてゆくために, 私は「数学をアートとして見る」「数学それ自体がアートである」という表現を選ぶ。

と, 文章を作り上げてみたが, 「アートとしての数学」という表現は, 一方で, 私自身にとっての地味で正直な経験から言いたくなったものであり, 逆説的表現で気を惹こうというつもりではない。また, 数学もアートもそれぞれ固有の歴史と形態を理由あって創りあげてきたものであることを, 私も知っている。そのことと矛盾せずに,「数学自体のもつアート性」とでも呼ぶべきものがあると感じている。

このページを小窓に入れて「アートとしての数学」のページにもどる