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2は多い

2 や 3 が「多い」ことがある.一度言われればわかることを, 二度も三度も言われると, しつこい, たくさんだと感じることはないだろうか. 「こんなつらい思いは一度でたくさんだ」というときは, 「一度でもたくさん」なわけで, まして 2度は「多すぎる」. 多元中継, 音声多重放送, 多国籍などの「多」は, 2以上すなわち複数の意味で使われている. 「2は多い」のである. (英語で"多"を意味する接頭辞 "poly"と"multi"も"2以上=複数"の意味で使われている.)

前節で「同じものがくりかえし現れる」ところに, 2, 3, ・・・・ という数が生まれたと考えた. すると, 「一つで十分なものがくりかえし現れる」場合には, 「くどい, 余分だ, 多い」と人は感じるから, 2 や 3 も「多い」という意味を持ちうるわけである. (もちろん「多い少ない」は相対的な評価なので, 2や3が一定してつねに, 「多い」あるいは「少い」の意味をもつわけはない. 2円や3円は買い物をするには少なすぎる.)

世界各地の原住民には, 3, 4 くらいから先の個数をしばしば"たくさん"と言ってすます民族があった. (注. 彼らの数量的思考と経験が, 1 と 2 しかあつかえなかったのでは決してない. 数詞(数専用の単語. 一, 二, 十, 百・・・・のような)は 1と2しかない民族も多かったようだが, 具体物名と結びついた数表現, 名詞や動詞の語尾変化, 体の部位の順序づけ, などによって, 数をたくみにあつかっていた. これについては他のページで触れる予定.) また, 英語の thrice には3倍と多数という二重の意味があり, フランス語の tres(非常に)と trois(3)にも関係があるという. これらの他にも証拠があって, 大昔, 3 が多数の意味を持っていた時代があったと考えられている.

もっと複雑な数体系を知っていた文化においても, 2 や 3 に多数の意味がこめられていた例としては, 中国の漢字を見ればよい. 「多」という漢字は「肉が2つ」の形から来ているという.(白川 静「字統」) 木が 二つ並べて書くだけで「林」, 三つ書くと「森」. これらの漢字は, 肉2つ, 木2,3本そのものを記号化したのではなく, 「一つだけでちゃんと意味をなす漢字(肉や木)をくりかえすことで"多"を表す」のだと考えられる.

現代人の文章表現においても, たとえば,
「夜空を見上げると, 星, 星, 星.」
この文章を読んで夜空に満ちる数えきれないほど多くの星が思い浮かばなかったろうか ? 星の字は 3つしか書いていないのに. これも「同一のもののくりかえしが表現する多」である.

「一つで形をなすものがくりかえすと"多い"と感じる. よって 2 や 3 に多の意味が生ずる. 」 とまとめておこう.

日本語には, 英語の名詞の複数形のような複数はないが, 「家々」「花花」「人々」「山々」「木々」のような表現はある. これも「一語で意味をなすものを繰り返すことで多数を表現」していると言えないだろうか ?

日本語には反復表現が多い. 「我々」「それぞれ」「おのおの」「ひらひら」「さらさら」「よくよく」「くよくよ」・・・・. これらの反復表現を, 多数, 配分, 擬音, 強調, ・・・・ などと分類できるだろうが, いずれも「反復」が感情感覚に呼び起こす効果としてひとまとめに把握しておこう. 「人々」という表現に, あるいは昔, 「それぞれの人」という配分的意味があったとしても不思議ない. しかし, 現に今, 「人々」に「多数の人」の意味があるのは, 反復の効果の一面である「くりかえしによる多い感じ」のためではないか.