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双数(両数)について

英語には, 名詞に単数と複数の形があるが, 古代ギリシャ語には単数複数の他に両数(または双数, 二数, 英語でdual)という形があった. この両数は 2個の場合専用の語形で, 限られた単語にしかない. 典型的な両数は常に2つが対をなしている単語にあるもので, osse (眼), pode (足) などの形である.

この古代ギリシャ語の両数表現の意味を日本語で言うと,「両目」「両肩」「両手」「両足」・・・などで, 漢字の「両」がギリシャ語の双数表現に対応していることが興味深い。また,「両」のつくものに対して, 一方だけなら「片手, 片足, 片目」のように言いかたがあり, これらがいずれも「2つそろってひとまとめ」と感じられていることを示している。このことは, 先のページの"2は多い" "分身の不思議"の"2"が「ひとつでも足りる, あるいは, ひとつであるべき, ものが, 2つある」という意味あいだったことと, 対照的である.

一般に, 何かが 2つ, と数えるときでも,「ひとつのものがくりかえされて 2となる」という面と「対象をひとまとめに見て, そのひとまとめの中味が 2つあると知る」という面がある. 後者の面について, もっと説明しよう. 人や物の集まりの個数を数えるとき, 私たちは, 数える前にまず, 「ここからここまでの集まり」と見えない枠を作って「ひとまとめに」してから, 数えるのでないだろうか ? 私たちは, このことを, あまり意識していないが・・・・. まず, 対象を「ひとまとめ」に認識するから, その中味が 2つ, とか 3つとか認識できる. この, 対象をひとまとめにする, という人間の認知過程は, 基本的過ぎて, 気づかれにくかったのかもしれない. 今の数学のもっとも基礎的な概念のひとつに"集合"があるが, "集合"こそ, 対象をひとまとめにする認知過程に対応する概念だろう. カントールが"集合"の概念を提唱したのは 19世紀後半である.

話しをもどす. 計数の過程には2側面の意味あいがある. 「ひとつのものがくりかえされて 2, 3, ・・・・ となる」側面と「対象をひとまとめと見て, それが, 2, 3, ・・・・ から成ると知る」側面. もちろん, 2側面は切り離せない. ところが, 同じ個数, たとえば, 2の表現でも, 2側面の一方を強調することがある. ギリシャ語の両数表現は, 「(2個の)対象をひとまとめと見る」側面が強く出ている.