「アートとしての数学」トップへ / Haniu files のトップへ

講座「アートとしての数学」第27回(2005/6/2木)メモ

言語表現と数学

「言語と数学」については, この講座でもときおり触れてきた. たとえば, アナロジー(類比)という言葉はもともと数学用語だったのが類比の意味で転用されるようになったこと.(第20回メモ) また, 英語の単数複数に残っているように, 昔々は数の認識が, 1, 2, 3のような数詞の形でなされるよりも, 語尾変化など言葉の構造そのものに組みこまれていたらしいことも興味深い.(ものに張りついた数 動詞の数と数の動詞化) 一方で, 大昔の小石による計算やそろばんやコンピューターのハードウェアのように, 言語が少なくとも表向き現れない「物の操作による数学」も数学には重要である. さらにまた, 数学は, 古くから「図形の科学(幾何学)」でもあり, 図形的な理解をよく用いる点でも, 言語のようにヒモが一本に続いてゆくような表現形態とは異質な面があると思う.

話しを広げたが,以下では「言語表現と数学」にしぼる. これだけでも広がりのあるテーマだが, いろんな話題を具体的にながめていきたい. また, 昨年11月頃からの材料が「等比数列」なので, まず, 古くからの世界各地の数学問題などで等比数列と関係したものを並べる. ほとんどはあくまでも数学の問題として書かれたものだが, ここでは, 数学内容と想像力や物語性とのつながりに注意して見てゆきたい.

2倍2倍問題

江戸時代に親しまれていたお話し. 曾呂利新左衛門が太閤秀吉から御褒美(ごほうび)に何がほしいかと聞かれたとき新左衛門は畳一枚に米一粒を置き, つぎの畳には 2粒を, そのつぎは 2倍の 4粒を, つぎはその 2倍の 8粒を, つぎにはその 2倍の 16粒を, このようにおいて全部いただきたいと答えたという.
10畳だと全部で何粒になるか ? 20畳だと全部で何粒になるか ?

この話しのヴァリエーションが, 江戸時代のベストセラーだった「塵劫記(じんこうき)」その他の数学書にたくさんある. 「将棋の盤目に米粒を ・・・・」「ぜに一文を ・・・・」「芥子(けし)一粒を ・・・・」など.

インドに伝わる逸話. 曾呂利新左衛門の話しとよく似た話しを, 中世アラビアの詩人アル-サブハーディが伝えている.
--- インドのセッサという学者がチャトランガ(将棋とチェスの共通の先祖)を発明しインドの王様に贈った. 大変感心した王様は, セッサを呼び何でも望みのものを褒美として与えようと言った. セッサは, チャトランガの 64個の目を埋めるだけの小麦の種子がほしいと答えた. ただし, 第1の目には 1粒の種, 第 2の目には 2粒の種, 第 3の目には 4粒の種, 第 4の目には 8粒の種, 第 5の目には16粒の種というふうに ・・・・・・ やや長いので全部読みたい人はこちらの別ファイル.

他にも次々に2倍になる話しを世界各地から挙げておく.

古バビロニア時代(紀元前20-16世紀)の粘土板文書

「大麦 1粒は大麦1粒を付け加えた. / 最初の日は 2粒 / 2日目は 4粒. / 3日目は 8粒. / 4日目は 16粒. / ・・・・・・・・ / 30日目は, 1657 gu 1/2 ma-na 2+1/3 gin 4粒(←バビロニアの重さの単位で記されている. 230粒に等しい)」

中国 1世紀頃「九章算術」

「機(はた)を上手に織る娘がある. 毎日, 前日の 2倍ずつ織っていき, 5日間に 5尺の布を織り上げた. それでは毎日それぞれいくらずつ織ったのか.」

インド文化はものすごい数量を語ることが大好きで, インドの宗教や物語にくわしい人に聞けば巨大数量表現の例はいくらでもあるのかもしれない. ここでは, 2の累乗の形の例からいくつかをあげるだけにしておく.

インドのジャイナ教の宇宙論では, 世界は同心円状に大陸と海が交互に並んでいる. インドがその南端に位置する中央の大陸(ジャンブー大陸)は直径10万ヨージャナの円盤状で, そのまわりが幅20万ヨージャナの海, その海を取り囲む幅40万ヨージャナの大陸, さらにそれを取り巻く幅80万ヨージャナの海 ・・・・・ と続いてゆく. ヨージャナは「1日の旅程」という意味の長さの単位で15km前後. この2倍ずつ広がる幅で並ぶ同心円状の大陸と海は限りなく続くとされる. (林隆夫「インドの数学」(中公新書)による)
この話しは, これに続く途方もなく大きい数の描写のための準備段階に過ぎない. その続きの話しは後で改めて触れよう.

小乗仏教の書「倶舎論(くしゃろん)」(インド, 5世紀)などによる宇宙論では, 我々人間の住みかのはるか高くに, 様々のレベルの神々(=天)のいる世界がある. 金輪水面(人間世界の海面と思ってよいらしい)から高さ4万ヨージャナに四天王が住み, 8万ヨージャナに三十三天, 16万ヨージャナに夜摩天, 32万ヨージャナに覩史多(とした)天, ・・・・・・ と, 天(=神)の住む高さは 2倍ずつになってゆき, 224万=1677億7216万ヨージャナに色究竟天がある. ここまでは形のある世界の範囲内で, この外にサマーディ(漢訳は「定(じょう)」)の境地にある存在があり, これは形のない世界の存在なので, 高さや空間の概念を超えている.(この段落は定方 晟「須弥山と極楽」(講談社現代新書)による)

インド12世紀「リーラーヴァティー」

「ある人が乞食僧に初め2ヴァラータカを与え, 毎日2倍増で与えることを約束した. 彼は 1ヶ月で何ヴァラータカ与えるか.」
注. ヴァラータカ(子安貝)は一番安い貨幣.

中国 1593年「算法統宗」

「今ある人, 銭一文を日に一倍を増す. 増して三十日に至れば, いくらになるかを問う.」
注. 一倍とは今で言う2倍のこと. 今でも「倍にする」というと 2倍にすることだ.